歴史,  社会

悪いのは個人ではなく社会システム

今読んでる本Saved from Sacrificeによると、ヨーロッパの魔女狩りはキリスト教による迫害ではなく一般的な偏見による迫害であり、彼女たちの無実を認めて魔女狩りを廃止したのが教会だった。魔女とされた女性は一般裁判よりも宗教裁判の方が有罪の可能性が低かったらしい。

その後で科学的な研究が進み、魔術などの信憑性が否定されたが、科学が廃止に追い込んだのではない。処刑された女性は無実だったとクリスチャンが主張したことが廃止へと加速させた。当時では科学者で魔女狩りを支持した人もいた。

クリスチャンは魔術を否定した訳ではなく、社会問題の元凶を無実のスケープゴートに着せて殺す社会システムにNOを突き付けたのが教会だ。キリストの十字架の神学がしっかり確立していればいるほど、無実の人が正しいとされ、彼らを蹂躙する社会システムの罪が暴かれる。

それが聖霊の力だ。パラクリート(助け主)がくればコスモス(世・社会)の罪が暴かれる(ヨハネ16:8)。個人の罪を指摘して罪悪感を持たせるのではない。コスモスの構造的罪を暴き、それによって人権が蹂躙されている人たちの声を拾いあげるのが聖霊の働きだ。

アベルからゼカリアまで全て宗教システム、政治システムによって殺された人を「ディカイオー」(正しい、無実)と宣言し、その全ての罪を十字架に付けるのがキリストの福音だ。今の宗教システムに迫害されている性的マイノリティ、すべてのマイノリティは無実であり悪いのはシステムだと聖霊は宣言する。

逆に「彼らも罪がない訳ではない」などといって人権侵害、蹂躙、差別、搾取を覆い隠すレトリックは、まさに神に敵対する「サタン」そのものである。これらを信じて同性愛者や他のマイノリティを罪人扱いして差別するクリスチャンは、残念ながらサタンに支配されていると言わざるを得ない(誰しもそのような危険性はあるが)。

しかしその社会システムの罪を暴くだけで終わってはいけない。イエスはアベルの血よりもすぐれた言葉を語る。ヘブル12:24。それは赦し(ルカ23:34)そして平和(ヨハネ20:19)だ。コスモスの罪を暴き、悔い改めと和解に導くのがキリストの真の福音だ。