釈義

恐れるべきは神orサタン!?

マタイ10章には次のようなイエスの言葉があります。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタイ10:28

日本語では、滅ぼすことのできる“方”と書いているので、読む人は誰もが「これは神様のことだ、神様を恐れないといけない、と思うでしょう。しかし、「方」という尊敬語的な言い回しは日本語独特のもので、当然原語にはありません、英語を含むほとんどの言語の聖書にはありません。

実際、特に英語圏では「ゲヘナで滅ぼす」ものがなのか、それともサタンなのか、という議論が神学者の間であります。

新約聖書学では世界でも右に出る人はいないとも言われるN.Tライト、さらにベン・ウィザリントンIIIの両氏は、従来教えられてきた「神説」ではなく「サタン説」を採用しています。なお、両氏は、いわゆる「リベラル」ではなく、聖書を神から与えられた権威ある書物として重んじる聖書教師です。

ここで、N.Tライトの言葉を紹介します。ここで自分なりの結論を特に出すつもりはないですが、皆さんが「当たり前」と思って読み、そこから「絶対」と思う教理を導き出している箇所には、実は真逆とも言える有力な解釈が存在することが多いということを知ってほしいのです。

「ある人達は(特にルカの言葉遣いから*)、「ゲヘナで滅ぼすことのできる方」がYHWHのことだと言うが、これは非現実的だ。確かにイエスはイスラエルの神をハエ一つ傷付けない優しいおじいちゃんのように見ていた訳ではないし、人をゲヘナに送ることができないと考えていた訳でもない。しかし、幾度となく(そしてこの次の一節も!)イスラエルの神は創造主であり養ってくださる方、すべての状況において愛をもって信頼できる方として描かれている。大きな棒を持って、人が線からはみ出すのを待って叩くような方ではない。

ここでは「本当の敵は誰か」と改めて特定することで、戦いそのものが再定義されているのだ。体を殺せるのは、敵と考えられていたローマだ。では、本当の敵とは?当のイスラエルの神な訳がない。本当の敵は、告発する者、サタンだ。*2.

なぜイエスは「恐れるな」と言い、次に「恐れなさい」と言い、また「恐れるな」とこれだけ僅かな言葉の間に言うだろうか?イエスは、当時のイスラエルが2つの違ったレベルでの敵と対峙していたと考えていた。明確な敵はローマ、ヘロデ、そして彼らに従う者たちだ。しかし、それよりも深い闇の敵、魂をも殺すことができる敵がいた。イエスの奉仕の間も、人々の魂を奪おうと戦っていて、より明確に見える敵を覆面として使っていたのだ。実際には、それよりも更に酷い。神の民の魂を欲する悪霊の権威は、正義と復讐に対する欲望を釣り針につける餌にしていたのだ。光の民は、闇を更に深い闇をもって戦おうとする時に、最も危険な状態にある。それこそが、炎がくすぶるごみ焼却所「ゲヘナ」にまっすぐ続く道であり、イエスはご自身に従う人達にそのことを知ってほしいのだ。それこそ恐れるべきものなのだ。

同時に、その恐れとバランスをとるために、いや、それを完全に凌駕する為に、神の細かな愛と加護についての非常に印象的な約束が書かれている。それは神の全ての被造物に対してだけでなく、その頭の髪にまで及ぶのだ。

ここははっきりさせておくべきだ。ある人達は、体も魂もゲヘナで滅ぼすことのできる者を恐れよ、とイエスが言う時、神ご自身のことを言っていると考えている。しかしこの箇所のポイントは真逆だ。神は恐れなくて良い存在だ。寧ろ、神は我々の人生、魂、体を全て委ねて信頼することのできるお方だ。」

ブログサイトCruciform Theologyより
https://cruciformtheologyblog.com/2014/01/30/n-t-wright-on-matthew-1028-satan-or-god/

*1 ルカ12:4
*2 英語ではthe satanと定冠詞付きで小文字になっている。実際聖書の中で「サタン」は「告発する者」の意味で、固有名詞として使われていないと考える神学者も多い。