LGBTQ+,  聖書学

ソドムとゴモラと同性愛に関して

創世記の19章には、ソドムという町が滅ぼされる物語が出てくる。アブラハムの甥で、ロトという人がソドムに住んでいたが、神の使いがソドムの悪事を確認するためにやってきて、ロトの家に泊めてもらう。そうすると、ソドムの人達はロトの家を取り囲む、その使いを差し出すように命じる。集団で強姦して辱めるためだ。

ロトは固辞して、代わりに処女の二人の娘を差し出そうと提案する。しかしソドムの人達は、使い達を犯すことに拘る。そこで使い達は、彼らを盲目にしてしまい、彼らは去っていく。次の日、ソドムとゴモラの町は火と硫黄が降ってきて滅ぼされる。

多くのクリスチャンは、この箇所を用いて同性愛は罪で、神は同性愛を憎んでいて、同性愛者をこのように罰する、と説く。そかしそのような聖書解釈は、極めて邪悪で愚劣で非人間的な解釈だ。なぜ?答えは簡単だ。

この話は同性愛とは一切関係ない。彼らは、自分の町に来たよそ者を辱めるためにそうしようとした。そういう習慣があったのだ。現代でいう「ゲイ」だった訳では決してない。全く違う。ソドムとゴモラの話は恐らく神話でフィクションだろうが、この話ともとが同じだと思われる話が士師記19章に出てくる。しかしその話では、差し出した女性がレイプされて殺される。

要するに、邪悪で極悪非道でサタンに憑りつかれている多くの保守派クリスチャンは、この箇所で明確に描かれている「レイプ」という重大な人権侵害を全く無視し、自分ではどうすることもできない「同性愛」や「性同一性障碍」という特性を抱えて生きている人達は断罪しているのだ。

この話はレイプの話で、性指向の話ではない。人を辱め、身体も心も傷付け、人格を奪い、命までも奪う冷酷非道な行為だ。人間の邪悪さの全てが鮮明に描かれている。この話(二つで一つの話)で、実際に被害を受けたのは女性だ。ロトの話でも、ロトが自分の娘を差し出そうとしとことも触れない。それは、保守派のクリスチャンは聖書を男尊女卑、家長制度の視点で読むように洗脳されているからだ。だから同性愛行為には目が行くが、女性が軽んじられ、蔑まれていたことには目もくれない。

これが宗教の罠だ。自分の頭で考える能力を奪ってしまう邪悪で非道なマインドコントロールで、良いことを悪いと良い、普通誰が見ても悪いと分かることを「悪い」と言えないし気付きもしない。

聖書を読んでも、同性愛は断罪するがレイプには一言も触れないようなクリスチャンが多いから、LGBTの権利拡大を目指す政治運動を全力で妨害するが、世界中で行われている人身売買について問題視したり意識啓発するようなことは教会では行われないし、妊娠中絶に関してはその母親の環境などを一切考慮せずに断罪するが、海外で女性子供含む民間人をドローンで虐殺したり、イスラエルがパレスチナ人を虐殺することに反対せず支持までするクリスチャンがいるのも、当然かもしれない。

これが宗教の全てなら、消えてしまえばいい。キリスト教なんでなくなってしまえばいい。聖書も全部燃えてしまえばいい。

でも、本来のキリスト教精神は、最も虐げられている人達と共に苦しみ、共に泣き、共に生きること、その十字架を共に背負って復活の道を探ることにある・・・貧しい人達、孤児、未亡人などの人権の為に声を上げた預言者たち、そして神は空から権力で支配している神ではなく人と共に苦しむ愛の神だて啓示されたイエスキリスト・・・

そのキリストの命がまだかすかに残っていることを信じたい。