信仰

初めてのブログ

ラビの足下で

私は大阪で宣教師の家庭に生まれ、15歳まで大阪の小学校・中学校に通いました。その後海外で高校、大学生活を送り、今は結婚して東京に住み、教育関連の仕事をしています。

宣教師家庭というと、勿論クリスチャンです。キリスト教の中でも、プロテスタントのカリスマ派あるいは聖霊派と呼ばれる系統の教会を両親が80年代開拓しました。教団には属さず、単立の教会として大阪で活動をしていました。日本を離れ、海外の教会でキリストに対する信仰が強められ、教会のユースや音楽の奉仕に携わり、ほぼ毎日祈って聖書を読むような生活を送るようになりました。それからおよそ5年前に妻と日本に帰国し、生まれ育った教会に通い、奉仕をしました。

しかし、去年(2015年)の始め頃から、今まで信じていたことが本当だったかを疑うようになりました。以前からも疑問を抱いてはいましたが、今回はほっておくことができず、自分でもう一度聖書、特にイエスキリスト自身の言葉が書かれている福音書を、できるだけ今までのバイアスを抜きにして、読み続けることにしたのです。すると、今までにはなかった新しい目でキリストの福音を読むことができました。

今まで教会で教えられてきたことが必ず正しいのではない、と考えるようになり、さらにリサーチを続けると、自分が今クリスチャンとして抱いている疑問を同じように抱き、自分で追い求めた結果、既存の教会の考えと全然違う結論に至った、という人にたくさん出会いました。本もたくさん読み、そのようなクリスチャンとFacebookなどでも交流するようになりました。

自分の信仰がどんどん変わっていきました。同性愛の問題、地獄の問題など、多くの人がクリスチャンになるのを遠ざけてしまっているものを徹底的に調べ、以前とは完全に違った理解が得られました。

ここでもはっきり言いますが、私は同性愛者を全面的に受け入れます。信徒としても献身者としても(献身者とは牧師や伝道師などとなるために教会学校に通い証書を鰓人のこと)。同性婚の法制化も完全に支持します。また実際に死後に「地獄」という場所があるかについても懐疑的で、多くのクリスチャンが信じているように、クリスチャンではない人が皆地獄に堕ちる、おいうことは全く信じていません。また聖書が神によって書かれた完全無欠の書物だ、という考えも持っていません。神にインスパイアされながらも人間が書いたものです。

これらの理由で、私のことを「異端」や「偽教師」と呼ぶ人もいます。しかし、「正当なキリスト教はこうだ」と言われたからといって、信じていないことを信じているふりをすることはできません。クリスチャンの歩みは旅のようなもので、新たな発見がたくさんあり、信仰も成長し変化していくのです。

このブログを「ラビの足下で」と名付けましたが、ラビとはユダヤ教の指導者のことです。勿論キリストのことを指してそう名付けています。彼と共に3年間過ごした弟子たちは、いつも彼の下で彼の教えを聞いていました。例え話や、道徳についての教え、近い将来起こることの預言、信仰のなさに対する叱責・・・色々ありましたが、その中で考えが変えられ、キリストの言葉を全世界に広げるようになったのです。ある女性の弟子のマリアは、自宅でイエスの話を聞いていました。姉のマルタはもてなしに気を取られていて、マリアも手伝うように言うように、イエスに頼みました。しかし彼の足下でひたすら話を聞いていたイエスは「あなたは多くのことに気を取られています。しかしどうしても必要なことはわずかです。いや、一つです。マリアはそれを選んだのです。」と言われました。

私たちも、この信仰の成長において、色々なことに気を取られる生活から一歩おいて、ラビ・キリストの足下で、彼が私たちにこんにちも語りかけている言葉を聞いていけたら幸いに思います。社会問題にも触れながら、キリスト教信仰を中心に書いていこうと思いますが、時々教育や言語、政治、時事問題、スポーツなどについても書くかもしれません。できるだけ多くの方にご愛読いただけるよう頑張りますので、宜しくお願い致します!

2件のコメント

  • トマス 段 智久

    こんにちは。自己紹介から。
    わたしは洗礼をうけたクリスチャンですが、近い親族にキリスト教徒は実姉のみで、あまりキリスト教のことを理解できていません。

    物心がついたのはアルジェリアのアルジェ。モスクから流れるコーランを聞きながら、ムスリムの世界で育ちました。小学校入学時に帰国し、五年生のときに今度はフランスのパリへ。ほんとに忠実なキリスト教国で中学卒業まで育ちました。
    大学は、大学院を含めて10年間、同志社大学に通いました。学部は工学部で、神学部ではありません。ただ授業や学内のイベントを通じて、キリスト教(プロテスタント)には多少なじみました。

    ここ20年間は、芦屋に暮らしてますが、日本聖公会のマルコ教会に数年通い、洗礼と堅信をうけました。わたしがこの宗派で洗礼をうけようとおもった理由は、AnglicanCommunionに属するからです。また実姉も、おなじ日本聖公会で洗礼をうけておりますので、抵抗がなかったという理由もあります。聖書は大学生の頃から、少しずつ読むようになり、またいま通う教会で牧師先生に手ほどきをうけ、日曜毎の聖餐式に参加するようにしております。

    ながながと自己紹介しましたが、以上のような経歴のわたしです。聖書について、リベラルな立場で、学んでいきたいと思いますので、ブログやTwitter、Facebookを拝見させていただきます。
    よろしくお願い申し上げます。
    TomohisaDan@ThomasD1014

    • talmid

      トマス段智久さん
      ブログを読んでいただきありがとうございます。またわざわざコメントもいただき感謝いたします。
      アルジェ育ちなんですね。それはすごい経歴の方ですね。
      私は元々聖霊派の信仰をもって育ち、今でも聖霊派の教会に行っていますが、数年前からかなり聖書の読み方がリベラルに傾いてきています。
      「リベラル」というのは、どちらかというと、聖書を高等批評的に解釈することを嫌う「福音主義」の立場との対比を示す為のレッテルとして私も積極的に使っていますが、聖書の言葉は非常に大切にしていますし「本当は何が書いてあるのか」と知りたい、探りたいといつも思っています。いわゆる「リベラル」の方々と見解が大きく異なることもしばしばあります。
      今後もご意見いただけると非常に嬉しいです。宜しくお願い致します。