釈義

よく誤解されている聖書箇所 狭き門

マタイ7:13-14
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」

ルカ13:23-24
すると「主よ、救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」

この箇所をよくクリスチャンが引用して、「キリストを信じないと地獄に行く」と説きます。しかしイエスがこれを語られた時代背景、さらにこれらの箇所の文脈を見て正しく解釈すると、全くそんなことは言っていません!!

キリストが教えを説いて回った時代は、イスラエルの人々は救い主を待ち望んでいました。では、イスラエルが待ち望んでいた「救い」とは何だったのでしょうか。それはローマの圧政からの解放と、イスラエルの王国の再建でした。死後に天国に行くことではありません。

当時の時代背景を考えたことのあるクリスチャン、少しでも知識のあるクリスチャンはどれほどいるでしょうか。イエスの時代にはたくさんのメシヤ、いわゆる「救い主」たちが登場したのです。イエスもそのうちの一人としてみられています。イエスの誕生の頃にはシモン・ペレアという「メシア」が登場し、ヘロデ王に反乱を起こしますが、ローマ兵に鎮圧されて斬首されます。またアトロンゲスとう者がメシアを名乗り、4人の兄弟たちと2年間もヘロデとローマに反逆しますが、同じように鎮圧されてしまいます。その他にもたくさんいましたが、十字架にかけられたりして殺されます。

キリストが来たのはそういう時代だったのです。そして多くのイスラエル人は彼らのように軍事的な力で「救い」ともたらすメシアを望んでいました。しかしそのような暴力的な行為は結局滅びを招くだけだとイエスは知っていました。「狭き門」の話をした山上の垂訓(マタイ5-7章)では、キリストは非暴力と平和主義を説いています。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるから。」「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」「一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。」「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」

「狭き門」の説教はこの中にあるのです。お気付きですか?そうです。キリストのいう「滅びに至る広い門」とは、他の暴力的、軍事的な方法で救いを勝ち取ろうとするメシアたちの道のことです。彼らに付いていけばイスラエルは滅びるのです。命に至る狭き門とは、イエスキリストが説いた平和の道です。本当の救い、すなわち癒し、解放、安全、回復は、キリストにある平和でしか成し遂げられません。よくクリスチャンは「救い」について、死後に天国に行くこと、と考えていますが、ギリシャ語のSoteriaにはもっと幅広い意味があります。それは健康や周りとの安全な関係、豊かさなどを現していて、死後の霊的世界の行き先という概念はありません。

極めつけはこれです。これに気付いていないクリスチャンもおおいようですが・・・。「それで、何事も、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:12-14)なんと、「狭き門」の教えの直前に、黄金則の教えがあります!多くの聖書は勝手にセクションで区切ろうとしますが、ここは区切る必要はありません。7:12-14までそのまま読めばいいのです。広い門とは、自分たちのことしか考えない人たちのこと、狭き門とは他の人にも自分にしてほしいようにすることです。ルカ10章に出てくる「良きサマリア人」の例えも、「永遠の命」に関する質問への応答でなのです。私たちが救われるのは、何かの特別な祈りではなく、必要を抱えている人を顧みてあげることなのかもしれません。

またルカ13章の箇所を見てみると、「努力して狭い門から入りなさい」とあります。変ですね。もしこの「狭い門」が、福音派の人は言うように天国と地獄のことを話しているのなら、私たちはキリストを信じさえすれば救われるのであって、努力は必要ないはずです。福音派の人はキリストを「行いによる救いを説いている」と批判でもするのでしょうか!いや、平和の道を歩むこと、平和な社会を築くことで、救い(癒し、解放、安全、回復)をもたらすには努力が必要なんです。そしてその道を選ぶ者はわずかです。

キリストの平和の道、狭き門を拒んだイスラエルは、なんとそれを説いたキリストを十字架につけ、それから破滅の道を辿りました。70年にはローマ兵に根絶やしにされます。しかしキリストの教えを固く守って少数の信者は、教会を広めていきます。
キリストに従う私たちは、キリストが説いた平和を実践し、他の人にもそれを呼び掛けていく義務があります。それを通して戦争や飢餓がなくなり、皆が平和に暮らす社会ができていくはずです。いや、それを実現させることのできる教えを説いたのはイエスキリストだけです。だから彼は永遠に「救い主」なのです。