聖書学,  釈義

「神の言葉」と「紙の言葉」③

言葉は何の為にあるのでしょうか。聖書は「言葉」の大切さを繰り返し語っています。

箴言18:21「死と生は舌に支配される」。

へブル4:12「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」

これらの御言葉にあるように、言葉はとても力強いものです。両刃の剣よりも鋭いのです!間違って使えば人を死に追いやってしまうこともできます。では、私たちはどのように言葉を使うべきでしょうか。聖書を単なる「紙の言葉」ではなく、本当に「神の言葉」として使うにはどうすれば良いでしょうか。ここはやはりパウロ大先生の知恵を拝借しましょう。

エペソ6:11-17
「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」

神の言葉は、御霊の与える剣なのです!それだけ力強いものなのです。しかし、この武具の話をする前の忠告を忘れてはいけません。この戦いは、血肉に対するものではないのです!私たちが人を強く非難したり、裁きや滅びを宣告するとき、それを通して人を傷付けてしまうとき、それは間違った使い方なのです。この剣は、霊的な世界の暗闇と戦うためのものです。

ヤコブはこう言っています。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7)

ここの「立ち向かう」という言葉は、攻撃的に向かっていくという意味ではなく、襲ってきても負けないように、譲らないように、との意味です。悪魔とは、人を告発したり、裁いたりするものです(黙示録12:12)。私たちが悪魔を追い払うには、悪魔のように人を告発したり裁いたりしないことに尽きます。

また、聖書には様々な言葉が書かれていますが、その中で、キリストによる真の言葉を知ってそれらを語らなければ意味がありません。これもへブル書の著者が教えてくれています。

へブル12:24「さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」

アベルの血よりもすぐれたことを語る?一体何のことでしょう。では、アベルの血が語ったことと、キリストの血が語ったことを比べてみましょう。まずはアベルから見ていきます。創世記によると、人類の歴史は殺人から始まってしまいます。弟を妬んだ兄のカインはアベルを殺します。それに対して神がカインに呼び掛けます。

創世記4:10-15
そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。

これが我々の祖先による暴力の始まりです。神は憐れみによってカインに死を言い渡さず守って下さいましたが、カインはずっと恐れを抱いて生きていかなければなりませんでした。この「復讐」が人類の罪を最悪に醜いもののしてしまいます。アベルの血は、地を呪い、さまよわせ、そして復讐の悪循環を生むのです。カインから5代目のレメクは、怪我を負わされただけで人殺しをし、カインの7倍の復讐に対して77倍を宣言します。

しかし、キリストは何と宣言するでしょうか?②でキリストがイザヤ61をルカ4:18-19で引用したところを載せましたが、その引用でキリストが「復讐」の部分を省かれたのはお気付きでしょうか?イザヤ61:2の「神の復讐の日を告げ」が完全に抜けていて、「恵みの年」で終わっているのです。なせなら、キリストは全ての復讐を終わらせる為に十字架に架かって下さったからです!!

「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」
マタイ5:38-48

キリストはこの教えを十字架の上で実践されたのです。

ルカ23:34「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』」

1ペテロ2:22-23「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」

アベルの血は復讐と呪いを与えますが、キリストの血は愛と赦しが豊かに注がれているのです!

そのキリストは、蘇られたのです!そして「平安あれ!」と言われたのです(ヨハネ20:19)!神の言葉は裁きや呪いや滅びや警告や脅しではなく、神の十字架によって与えられる平安、赦し、愛、そして命を与える希望なのです!

私たちにはこの言葉が与えられています。イエスキリストが与えられています!そのイエスキリストが私たちの心に住まわれる時、私たちは地の塩、世の光として、その愛と希望を世界中に輝かせることになるのです!

キリストが始めた愛と平和のレボリューションです!バトンは私たちが握っています!ですから、聖書が証する神の言葉・キリストを世界の果てまで語っていきましょう!